人間とは、人が人の間にで生活する群衆を指す。
つまり社会である。
社会は管理し、されている。
管理とは一定の仕切りがある。
仕切りとは0か1かである。
何億もの選択肢があるにせよ、最終的に集約される選択肢は0か1である。
その選択行動こそが人間である。
では、孤立した「人」は、はたして自然や本能に身を任せた動物の様にアナログであるのか。
動物はアナログから抜け出せないデジタルであると思う。
脳は考えたとき脳波(パルス)を発生する。
そのパルス信号によって身体は動き出す。
しかし、身体の動きはアナログである。
例えば、スケッチをする時モデルを見てキャンバスに描く一連の行動は
モデルを(アナログ情報)を目で(アナログセンサー)観たらキャンバスに描くときに、頭でだいたい「ここからここまで手を動かそう」(デジタル思考)と考えてパルス信号が筋肉に伝わり、手が動き描くことになる。
「ここからここまで手を動かそう」とは、「ある点からある点までの範囲」であるため、概念そのものがデジタルだと言うこと。
それがどれだけ緻密で、きめ細かくあっても同じこと。
簡単に言うと、白紙のキャンバスであっても目には見えないグリッド線を脳が勝手に生成してしまうのだ。
仮に、絵が下手で、「どこからどこまで手を動かして線を描けばいいのか分からない」と言う考え方も「どこからどこまでの範囲」つまり座標を求める思考回路がデジタルであるのだ。
ここにきて、一つ浮かんだことは、「動物は居場所(座標)を求める」と言うことだろうか?
生きるため、生活するため、仕事するため、遊ぶため
何においても居場所を求めてはないだろうか?
エンジニアである私にとっては、ものつくりをしたい。クリエイトを上げたいと考えるように
デジタルな物を一生懸命アナログに近づけたいと思う。
まるでデジタルカメラの解像度が日々高画質になる様に。
まるでオーディオ機器がハイレゾ化する様に。
まるで円周率の桁数が日に日に増える様に・・・。
しかし、デジタルでしか物事を考えることが出来ない私たち動物は
アナログを創り出すことは不可能であるのだ。
まるでデジタルカメラはフィルムレフカメラの画質を凌駕出来ない様に。
まるでハイレゾ機器でもマスターテープ音源、ましてやライブ会場を再現出来ない様に
まるで円周率が割り切れない様に。・・・
そういえば皆さん、円周率が割り切れる答えを知ってますか?
結論から言うと、答えは「0」です。
でも、分母が「0」であった場合、電卓叩いてみたら分かると思いますがエラーが発生します。
ここで円周率の式をササッと
π=180×(sinθ÷θ) エクセルで計算する時は
=180*(SIN(RADIANS(θ))/θ) ※θは同じ値です。
θが0に近づけば近づくほど円周率は正確になります。
私が中学生の頃「ゆとり教育」とか言って小学生が習う円周率は3でした。
円周率が3だと・・・
3=180*(SIN(RADIANS(30))/30)
となるので・・・sin30°のピースが円を構成ことになるので・・・・
360÷30=12角形=円となるのです・・・!(な^ω`ぬ)ポリゴン
恐ろしい・・・。
少し脱線しましたが、私的解釈はアナログとデジタルの境界線は円周率にあると行き着いたのだ。
その境界線は越えれない壁であって、越えた先には「0」があり、0すなわちアナログであって
私たち動物が存在する(=存在は「1」であるが)ゆえに私たちはデジタルであるのだ。
それは「1」が「1」で居れるのは「0」が有るからであって、もはや目には見えない「0」が何であるかは人間はまだそれを発見していない。。。。
私がクリスタルで神降ししたら、蛮神は「零」でしょうね。