男が孤児を拾ったのは、1554年の晩夏のころだった。
アラミゴの虎、アラミガンティーゲル、あるいは渦巻き柄の虎とも呼ばれる男、ヴィルヘルム・シュルツは前線で帝国軍に蹂躙された町や村を訪れるたび、一人で隊を離れてある捜し物をしていた。
捜し物とは、彼の妻である。
2年前、ヴィルヘルムと彼の妻はアラミゴ本国で暮らしていたが、妻の里帰りのため国境付近の義父母の実家へ帰省する最中だった。チョコボキャリッジで移動中、帝国軍の先行部隊に軍事用キャリッジと間違われて襲撃された。それから帝国は国境付近に陣取り、小競り合いが続いている。その時、妻は身重だった。
それからというもの、前線で帝国軍に徴収された村を奪還したり、廃村を訪れるたび、あてもなく妻を探すことが日課になっていた。
ちょうどその日も、昨晩の帝国軍との戦闘の後、帝国が引いたあとに村があったため、明け方から拠点を離れて探索していた。偵察部隊からは帝国軍に動きはないと報告があったため、合間をぬって来た。
昨夜から今朝方にかけて降った雨のおかげか、昨日の火の手は消えているようで、村のいたるところで白い煙が上がっていた。
まだ残っている納屋や、くずれた瓦礫をかき分けながら、あてもなく探していた。
妻が行方不明になって2年、本当はもう心のどこかで諦めかけているかも知れない。
それでも、藁にもすがる思いで前線に残り、こうして探し続けている。そうでもしないと、あのとき何故止めなかったのかと自分を責めてしまう。
故郷とも言える寺院を粛清した軍に残るのは我慢ならなかったが、妻のことを思えば背に腹は代えられなかった。
その時、物音が聞こえた。帝国軍かと思い、物陰に身を潜めて様子を伺った。
しばらく神経を研ぎ澄ませてあたりの様子を探っていると、遠くで動物のような鳴き声が聞こえた。
よくよく集中して聞くと、やはり猫か何かの鳴き声だというのが分かり、緊張の糸を緩めた。
しかし、猫にしてはかなり長い間鳴いている。気になったので、鳴き声がする方に歩みを進める。少しずつ近づくにつれ、それが動物の鳴き声ではないことがわかった。
人間の赤子だ。
そう思った瞬間、ヴィルヘルムは泣き声のするほうへ駆け出していた。
泣き声の主を探していると、ある民家の前で足が止まる。その民家も半壊半焼、家の屋根は焼け落ちて崩れており、土作りの壁は中の木材がむき出して大きく歪んでいて、家屋は瓦礫の山に近い状態だった。
この中に赤子がいると思うとゾッとしたが、手当たり次第に瓦礫を取り除く。
必死になって屋根や壁、柱を取り除く間も、赤子の泣き声は続いていた。
半刻ほどして、汗が滝のように流れて滴り落ち始めた頃、ようやくあるものを見つけた。
若い女性の遺体。
崩れた瓦礫に潰されたため、遺体の状態に目をそむけたくなる。
かろうじて確認できた顔を覗いた。
妻ではなかった。
悪いと思いつつ、心のどこかでほっとした。
遺体を動かすと、その下の家具の中にいまだ泣き叫ぶ赤子が毛布に包まれている。
遺体の女性と同じ、栗色の髪をした子供。
「よかった…。」
ふと安堵の声が漏れた。
この子の母親が死んでからかなりの時間が経っているだろう。
帝国軍が去ったのが昨晩、今は、薄い雲に隠れてはいるが太陽はかなり昇っていた。
明け方に降った雨で火の手も消えたうえに、気温も高くならなかったため、赤子は太陽の熱から生き延びられたのかもしれない。
だが、赤子を救ったところで、この子に今、何をすればよいのか全く検討がつかなかった。
家事は妻に任せていたし、その妻も初めての子を身ごもっている時に行方不明のままだ。
ましてや昔からあまり子供が好きではなかった。赤子など、ろくに触ったこともない。
それでも、赤子が頻繁に母乳を飲むことくらいは知っていたので、長時間水を飲まない状態は良くないだろうと思いついた。手持ちのアルゴートの胃で作った水筒を取り出し、飲ませてやろうとしたが、いかんせん上手くいかない。流した水はすべて口から溢れ、赤子はむせてしまった。
赤子が母乳以外の方法で、どうやって水を飲むのか全く想像もつかなかった。そうして思案している間も、赤子は泣き続けている。
途方に暮れていると、赤子が自分が包まれている毛布を口に加えて静かになった。試しに、毛布に水を含ませると、毛布ごとじゅうじゅうと水を吸い始める。
少し安堵した。が、これからこの赤子をどうするか迷った。
「まぁ…拠点に戻れば誰かが何とかしてくれるだろう。」
赤子はいつの間にか眠っている。
その間に、母親の遺体を崩れた家の近くに埋め、家の瓦礫を寄せ集めて簡素な墓を作った。
女性の名前はわからない。墓に名を彫ることはできなかった。
村では他にも遺体を見かけたが、赤子をいつまでもこうしておくわけにはいかなかったため、心の中で謝罪しつつ村を離れた。
赤子を抱え、一刻ほど歩いた先の拠点に戻るころには昼を過ぎていた。出迎えた兵士が驚いて仲間を呼ぶと、大勢の兵士が見世物小屋でも見るように寄ってきた。
それもそうだ、戦争以外無頓着の英雄が、いつもの散歩から赤子を抱えて帰ってきたのだ。
「すまないが、誰かこいつのおしめを替えてやってくれ。ひでぇ匂いだ。」
村では硝煙の匂いであまり気にならなかったが、昨晩からそのままのおしめは、それはひどい有様だった。
助けを求めてあたりを見渡したが、屈強な大柄の兵士たちは目を逸らしたり、肩をすくめるばかりで寄ってこようとさえしない。それどころか、ニヤニヤしながらこれからどうなるか楽しんでいる。
「大将、俺らは兵士ですぜ、おしめの替え方なんぞ、わかるわけがないでしょうよ。」
「それよりも、あんたがどうやるか楽しみでしょうがねぇ!わははは!」
気のいい奴らだが…いや、気のいい奴ら故に、この有様である。
仕方なく、自分で替えてやることにした。
動き回る赤子に手を焼き、子供がいる兵士に助言をもらいながら初めてするおしめ替えは、想像を絶した。詳細は…思い出したくもないので割愛させてほしい。
その時、初めてわかったが、赤子は女児だった。
思えば母親と思われるあの女性に、目元がよく似ているように思えた。
妻の腹の中の子が生まれたとすれば、ちょうどこの子くらいだったのだろうと思った。
「明日になれば、貰い手なり何なり探して本国に引き取られるだろうよ。」
その日の深夜、何度目かの食事を与えながら、朦朧とした頭でそう考えていた。
だが、彼の思惑とは裏腹に、彼の育児生活はしばらく続くことになる。