野宿。
我々『FCおもろ』にハウスはない。
リムサ・ロミンサのマーケットボード横にある広場で、焚火をたいて雨風に震える日々。
その半径2メートルくらいが、今我々のFCハウスだ。
今日も今日とて、ホームレスを満喫するFCメンの一人を見つけると、私は話しかけた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
「めちゃくちゃ死にました。全滅しまくった……」
「そういうのお好きでしょう?w」
うむ。
好きか嫌いかと言えば、好きだ。
いやむしろ大好きだ!
死んだーとか言いながら、わいわいやるのはとても楽しい。
今モグリが、どこから取ってきたのか分からない謎のコレクションを交換してくれる貴重な時期の真っ最中である。
それに便乗しようと、私も1日1ダン・スカー巡りにいそしんでいる訳だが、たまにレイド自体が荒れる時がある。
その日はそんな荒れたレイドに当たったのだ。
それでこの話が浮上している。
しかし、混戦は好きなはずなのに、私の顔は浮かない。
「今日のは楽しくない混戦でした……」
「楽しくない混戦?」
「混戦するのは楽しいから大好きなのですが、楽しくない混戦もありますよね……あの違いがよく分からない。頭では分かっているのに、口で説明ができません」
高難易度でガチガチに緊張しながらプレイするタチではないので、この場合の混戦はそれとは別だ。
普通にノーマルをやっていて、うっかりひっかかったり、うっかり範囲をみんなにかましたり、うっかりの連発が重なって、全滅スレスレになるような、そんなアレ。
ギミックを忘れていたり、知らなかったりの、ああいう場合に起きるあの混戦。
聞いていたFCメンの一人は「あー」と察していたので、言いたいことは伝わっているらしい。
しかし、お互い分かっているのに、説明ができない。
それから野宿の定位置に座り、広場で始まる人間ドラマを見ながら、私は考えていた。
楽しい全滅。
楽しくない全滅。
同じ全滅なのに、その場に明確な違いが現れる。
それは一体何なのか。
帰宅した時に、ガッカリしている、その感情は何なのだろう?
悶々と思考に身を投じる私の前で、マケボにたまる人々が、時折、友達や知り合いにエモートを投げている。
私はそういった第三者の感情の表れを見ているのが好きで、何をするわけでもなく、ただ広場に座って人間観察をして終わる日もある。
知らない誰かが、何かのエモートを誰かに投げた時だ。
私はハッと気がついた。
「そうか、その時その場にある、大勢の感情の流れを感じてしまっているんだ」
たくさん死んでごめんなさい。
うまくできなくてごめんなさい。
火力が低くてごめんなさい。
ギミック忘れてごめんなさい。
スキルまわしができてなくてごめんなさい。
何か、そういった負の感情がその場に凝縮された時、私は楽しめない自分がいるのに気がついた。
慌ただしくなる空気。
雑になってしまう動き。
さっきまで回せていたはずのスキルがうまく回せていなかったり、逃げるのに重視したようなやたらと硬い速度。
大勢のそんな流れを、感じ取っている時。
私は楽観的なアウラなので、自分がやっちまった時でも切り替えが早い。
第三者がギミックに引っかかったとしても、わざとやってる訳ではなし、気にならない。
メタ的な話、そもそも制作者達が罠に引っかからせようとして作っているものに引っかかっているだけのことだ。そりゃうっかりすれば引っかかるだろう。
むしろ適度に引っかかっている人達がいる方が、ゲームとして成り立っているとすら思う。
しかし世の中色々な人がいる訳で、きっと、シュンとしてしまうのだろう。
私がこの前シュンとしたのいつだ?と思い出そうとしても、思い出せない。
最新のシュンすら思い出せないような私とは、比べられない性格的なものが、きっとあるのだ。
楽しくない全滅。
第三者のことまで考えてシュンとなってしまう人達が大勢集まった時に、きっと起こるのだろう。
人の心を思うような、優しい人達が大勢集ったときに、この現象が起きてしまうのかも知れない。
そう思えば、楽しくない全滅も、さほどガッカリするものでもないのかなと、そんなことを考えもした。
心の持ちよう一つで、「楽しくない全滅」は、「優しい人達集まってるな今日」というものに置き換えられるのだと、知った日であった。