今週末とても大事な人を私たちはカフェに招きます
その人はもう15年前、初めてこの土地へ来た時に
最初に出会った不動産屋さん以外の人です
以来時々声をかけてもらったり声をかけたりしています
ただ私はちょっとその人のことにきがかりがあります
出会った時、既にけっこうな齢だったはずで、今になればもうすっかりおばあちゃんの部類に入ります
以前はメールをするたびに強気な返事が返ってきていました
けど、この間メールをしたときには、なぜか
「最近すっかり齢をとってしまって」という言葉がにじむ文章で
それから私は齢をとってしまうということについて深く深く考えています
なぜこの世界はパーフェクトワールドではないのだろうとも考えます
素晴らしい世界であるのには変わりはないと思うのだけど
なにかが決定的に欠落をしているからです
時間が支配できない、あるいは生まれる前のことに
興味をもつのがおかしいことだとする考えがあったり
死後への問いに誰も答えがだせないのに
議論をするのがそもそも無駄だという考えがあったり
なぜ人は時間を支配しようとしてこなかったのだろうか
なぜ人は自分たちの心がどこからくるかについて
もっと科学して積んでこなかったのだろう
なぜ死んだら人は灰と化すのか、そしてなぜ人は死後の世界を信じるのか
どっちかといえば、私は死後の世界はどうでもいいし
時間が支配できないのは人類の怠惰だったとすら思います
そして、私たち人類がどこから来たのかだって
今があるからいいじゃないかで片付けてしまい、日々の中へ溶け込んでいきます
でもこうも思います
それらは人の命の儚さと残されていくものの悲しみ
そして、一層そんな苦しみがあるのなら、
「イーラ」の人々のように全てを諦めてしまうことはできないのかということです
肉体を持っているが故の苦悩
そこを離れないとわからない真実
直視すれば過酷すぎる達成条件の数々
いつか人はいなくなってしまう
これだけは変わらない現実です
私だって例外じゃないし、間違いなく全ての人に当てはまることです
イーラの人々は肉体から離れて精神になり、けど終わるためには肉体が必要だと悟りました
終わりが怖いのではなく終わりを迎える為に存在をしているという真理も納得です
ここまで考えてみると、私たちは終わりから逃れることが出来ないことに気づきます
でも昨日、ある友人とコンパニオンメールでこのやり取りをしていた時に
一つの答えをもらいました、それは私の求める真実に最も近いものでした
人は明日終わるかもしれない、だから今日会えたことは奇蹟なのだから
出逢いに悲しみや切なさを伴うことはない、明後日がどうなるかは誰にもわからない
でも、だからこそ、会ったら笑顔で「こんにちは!」でいいじゃないかって
目が覚めたら「おはよう」で眠るときは「おやすみなさい」そんな挨拶だとか
ちょっとした会話で人は繋がり次へ次へと時間を繋いでいるじゃないか、って
結果として私たちに答えはだせていないかもしれません
けど、人が今まで真理を追究せずに今日まで何も不思議に思わず日々を過ごすことができていた
答えがそこにはある気がします
今週末に会う大事な人は、私にとっては絶対に失いたくない人です
私は随分失礼なことを考えているというご指摘も十分理解しています
多くの異論があるのも十分承知です
ただ、その姿を失いたくない故に、経験からくる悲しみが優っているのもまた事実です
駅前のバスターミナルの二階 そこにある小さなカフェ
珈琲とケーキを囲み恩人を迎えての小さなパーティ
私はきっとイーラの姿をしたなりそこないのヒカセンとして
そんな会話も避けては通れないことなのかなってどこか寂しさを感じながら
けど、笑顔でありったけのジョークも交えて、その日を大事に終えたいと思うのです
暁月のフィナーレ6.0が無事終わりました!
終焉の戦いもみなさまのおかげさまをもって
一度も倒れることなく討滅することができました
あの時一緒に戦っていただいた全ての戦士に感謝をするとともに
ここに、物語に一つ幕がおりたことをご報告いたします!
ありがとさんでした!^^