ヒカセン歴7ヵ月、紅蓮編4.0クリアしました。2つ目の日記です。
ヨコテ家の5男、Latho'ra Yokhoteです。
タイトルの通りゼノスというキャラの造形意図について「ん?」と思った点について書こうと思います。
もちろん紅蓮4.0の結末に関するネタバレを含みますのでご注意を。ゼノスの行動原理紅蓮編のラスボス、ガレマール帝国の皇太子にして第XII軍団長ゼノス・イェー・ガルヴァスの行動原理は
「自分が楽しいかどうかを何より優先し、そのために戦う」
「国や民の利益、正義には興味が無く、自らの快楽を最優先する」
というものでした。
実の父である皇帝ヴァリス・ゾス・ガルヴァスに
「
どの道、奴は皇帝の器ではなかった。あれは己の快楽を求めすぎる」
と評されるほどです。
この父親の評には僕も「
マジでそれな」と言わざるを得ません。
僕は紅蓮プレイ中ずっと
「せっかく育てた将兵をバッサバッサ切り殺してたら組織ガタガタになりますわ。帝国軍恐るるに足らず」
って思ってましたもん。
ゼノスの意外な申し出ヨツユと共にドマ・アラミゴに圧制を敷くゼノスは当然光の戦士たる主人公たちと戦うことになります。
光の戦士としては、罪の無い人々を苦しめエオルゼアの脅威たるゼノスを放っておくことはできません。
しかし、アラミガン・クォーターにて光の戦士と相対したゼノスはこう言います。
「
我が友として生きないか」と。
意味不明ですね。困惑しました。
僕は良く分からないまま「普通は断るんだろうけどわけわからん流れの質問だし敢えて……」
と思って承諾したところ、「
見え透いた嘘を」とか言われました。
お前が言い始めたんやろがい。
ゼノスの「最初で最後の友達」戦いの末、自分に勝利した光の戦士に対してゼノスは満足げに言います。
「
さらばだ……俺の最初で最後の友よ……」
と。やっぱり意味不明ですね。
なんとか死なないように戦うことに必死な、ネームプレートに双葉マークをつけたヒカセンとしては彼の言っている意味を理解する余裕なんてありませんでした。
しかし、落ち着いて考えてみるとなぜ光の戦士がゼノスの唯一の友であり得るのか、だんだんとわかってきました。
それは、記事冒頭で述べたゼノスという存在の特異性にヒントがあります。
「自分が楽しいかどうかを何より優先し、そのために戦う」
「国や民の利益、正義には興味が無く、自らの快楽を最優先する」
そのような行動原理に従い、他者を殺すことに躊躇いの無い反社会的・非社会的な人物は、社会から受け入れられることはないでしょう。
皇太子としての権力と実力を持ってしまったが故に存在が許されているのかもしれません。
ともかく、そのような存在は筆者が知る限りにはハイデリンには他には存在しません。
それゆえゼノスには友達がおらず孤独な思いをしていたのではないでしょうか。
平たい言い方をすれば、価値観の合う友達が居ねぇ、と。
しかし、ハイデリンから外に目を向けるとすぐそこに、ゼノスとよく似た存在がいます。
プレイヤーです。
エオルゼアの脅威たるゼノスと、エオルゼアを守ろうとする光の戦士、のプレイヤー。どうしてこの二者が似ていると言えるのでしょうか?
悪逆非道を尽しくた上、その理由を「自分の快楽のため」とのたまってみせるゼノスに、プレイヤーは自然とこう言いたくなります。
「
酷い!さんざん殺しておいて、エオルゼアや属州、帝国そのものまでもがお前にとっては遊び道具でしかないのか!」
と。
ですが、その言葉が浮かんだ瞬間にふと気づきます。
その点についてプレイヤーはゼノスに対してモノ申す資格はないと。
プレイヤーにとっては、それらハイデリンの世界自体が文字通り「遊び道具」そのものなのです。
ゼノスは帝国とエオルゼアの戦いをゲーム感覚で捉えていますが、プレイヤーにとってはゲーム「そのもの」です。
ゲーム世界を遊び場・オモチャとして扱っているのはプレイヤーの方にほかならないのです。
FFXIVというゲームでは、主人公の意思や動機は曖昧にされています。
MMORPGというジャンルの性格上、主人公のキャラクターを明確に設定するとプレイヤーが自分のキャラクターに対して抱いているイメージと食い違い、違和感が生じてしまうからだと思われます。
いずれにせよ、エオルゼアを蛮神や帝国から守るのがプレイヤーキャラクターとしての光の戦士の基本的な行動方針であり、ゼノスが「友達になりたい」と思える点はあまりないと思います。
いくらゼノスと伍する力を持つと言っても、それだけなら「友達」ではなく「ライバル」の方がふさわしいでしょう。(これは、各プレイヤーが自分のキャラクターのパーソナリティをどう設定しているかによりますが……)
おそらくゼノスが「自分の同類」と感じ、「終生の友としてもよい」と思ったのは、暁の英雄ではなくそれを操作している「ヒカセン」の方なのではないでしょうか?
ゼノスが共感しているのは、ゲームとして楽しむことを目的にハイデリン世界に関わっているプレイヤーなのでしょう。
運営・シナリオライターの意図は?FFXIVでの出来事は物語内の出来事なので、当然シナリオライターが意図をもって作り出したものであり、ゼノスとて例外ではありません。ゼノスが第四の壁越しにプレイヤーと友達になるしかない人物であるならば、それはシナリオライターの意図によってそうなったと言えます。
また、物語世界内の人物であるゼノスは当然現実世界のプレイヤーについて知る術はないためか、ゲーム内の体裁としてもゼノスはプレイヤーキャラクターである光の戦士その人に「友達になろう」と語りかけています。
エオルゼアを守らんとする光の戦士はゼノスと敵対しています。
しかしゼノスは光の戦士の中の人ことヒカセンと友達になりがたがっています。
ここに第四の壁を隔てた奇妙な三角関係が発生しています。
第四の壁を越えてプレイヤーに語り掛けてくるというものは変化球と言うか一般的にはタブーに類する類ですし、そもそもプレイヤーの利害とキャラクターの利害がズレてしまうのはプレイヤーが違和感を覚える原因になるため、特に意図がない場合は避けるべきでしょう。
参考:
プレイヤーとプレイヤーキャラクター感の利害のズレによる違和感についてのWatch_Dogs2の記事
『Watch Dogs 2』のマーカスはオープンワールドゲームの主人公に相応しいのか。暴力に潜む違和感の正体
そこまでしてゼノスをそのような造形のキャラクターにした意図は何なのでしょうか?
Undertaleのようにメタ構造を仕込んだシナリオにしたかったのでしょうか?
筆者個人としては、これはプレイヤーに対するメッセージなのでは?と思ってしまいます。
それが高難易度コンテンツを求めるガチ勢プレイヤーに対する皮肉や窘めなのか、ラブレター、感謝の手紙、あるいはサービス精神の類なのかは自分にははっきりとは判断できません。