私がMMOに臨んでいる事の一つに一期一会があります。
オフゲ―ではまず体験できない出会い。
「私は少々マンガチックな出会いを求めてMMOで遊んでいます。」
と言っても間違いではないと思います。
しかし、出会いと言っても別にリアルの世界で会ってみたいとかではなく、文字通りマンガチックな出会いがこのFF14の中で起きないものかと、少し期待して遊んでいます…と言うことです。
マンガチックな出会いと言っても色々ありますが、やはりFF14はゲームですから劇的であればあるほど望ましく、出来たら誰も想像が付かないようなマンガチックな出会いを求めている訳です。
このマンガチックな出会いと言うのが中々難しく、例えばFCに加入して誰かと出会う、、、これは少し違う気がするのです。
FCに加入すると言う能動的な行為が前提にある段階で、自らの意思で切り開いた運命的な出会いはこの場合における私の求めている「マンガチックな出会い」とは少し離れている気がします。
私の求めているのは「神のイタズラ的なたまたまの出会い」です。
「PT募集で誰かと出会う。」
これも神のイタズラ的な物に近いですが、やはり自らの意志によって動いています。
やはり「たまたま」出会わなければいけません。
つまり私が望んでいる「神のイタズラ的なたまたまの出会い」なんて、まぁ普通は起きないのです。
何せ「神のイタズラ」ですから。
そうは思いつつも、私は折角のMMOだから何か面白い事は起きないものだろうか、と神任せ的な気持ちで昨夜も「制圧巨塔 シリウス大灯台 (Hard)」の下限募集を行いました。
しかし数分経っても全く反応がなかったので「今日は少し厳しいかな。」と考えて募集をしながらも、蒼天エリアのダンジョン開放の為に低地ドラヴァニアに向かいます。
目的のダンジョンは幾つかありましたが、メインは勿論「機工城アレキサンダー:起動編」です。
私が、アレキの解放場所付近に近づくと、何やら向こうの方に明らかに普通のプレイヤーと名前の色が違うプレイヤーがいました。
フレンドです。
PT募集のPTでフレンドになった方でした。
実は、私、FCやLS以外のフレンドとはこうしてたまたまバッタリ出くわす経験がFF14では今まで無かったので、一瞬どういう態度を取って良いものか考えてしまいました。
「馴れ馴れしくすべきか。」
「見えなかった事にするべきか。」
一瞬の間に色々な事を考えました。
これが「神のイタズラによる偶然の出会い」であったのか
それともたまたま出くわしただけの何時もの日常の1ページであったのか
この時の私、そして現在の私も結局のところ、この出会いが何であったのか分かっていませんが、この時の私はsayで声を掛けてみる選択をしました。
フレンドになった後、本来ならその後すれ違う事も無かったかもしれないフレンドにたまたま出会った私はsayで声を掛けてみました。
何の当たり障りもない発言をしてみました。
その場では何の反応も無かったので、私は「まぁこんなものかな。PTで1回出会っただけだし。」と思いながらその場を去ってアレキの開放に向かいます。
ここで運命は動きます。
私がアレキ開放ポイントでアレキのムービーを見ているときに、私が募集していたPTに先ほどのフレンドが加入してくれたのです。
おそらくですが、、、先ほど私がsayで話していなければ加入は無かったでしょう。
更に、立て続けにアレキのムービー中ではありましたが、募集を見た他の2名のメンバーも加入してくださいました。
もうアレキのムービーは上の空です。
アレキのムービーが全く頭に入ってきませんでしたが、そんな事よりもPTメンが揃った事の方が遥かに重要でした。
「話しかけてよかった。」
「見て見ぬふりをしなくて良かった。」
私たちのPTは制圧巨塔シリウス大灯台(下限)に突入します。
道中については割愛しますが、今回も下限PTの面白さは健在でした。
PTが終わったあと、私はアレキの解放場所の低地ドラヴァニアではなく、クエを進めるための幻影諸島に飛ばされたのでフレとは顔を合わせる事が出来ませんでした。
今回の「たまたま」で感じた事は、「マンガチックな出会い」と言うのは案外「神のイタズラ」によって生まれるのではなく、一人の人間の行為や意志によって切り拓いて発生する運命のようなものなのかなと思った事と、今後このフレンドとの関係が続いていくのか、今回の出会いで終了するのかも、結局は個人の意思に委ねられ、神はただ微笑んでいるだけなのかも…と言う事でした。
この世界で誰かとすれ違っている何時もの日常の中に、私の求める「マンガチックな出会い」についても案外そこにある事に多くは気づいていないだけなのかもしれませんね。
「丘の上 フレが見上げる 秋の空」